かんたん雑記

普通のサラリーマンの普通の日常

1人の人の努力量は8割くらいが丁度良い

今日は燃えないごみの日。

さぁさ、捨てようと思ってゴミ袋を持ち上げた瞬間、「そんなに少ないゴミで袋が大きすぎる!」と妻の叱責。

いつものゴミ袋もったいない問題である。

 

そう言えばゴミ袋って1枚いくらなんだろう。

まぁ、計算したところで妻の考えは変わらないけれど。

 

「〇〇ちゃん、落ち着いて。ゴミの管理はやらせてくれるという約束だったじゃない。確かにゴミ袋はもったいないかもしれないけれど、やらせてもらえないかな」

 

「…ぜぇ、ぜえ、しゃあない。わかった。ぜえ、ぜえ、プンプン」 

 

と妻の機嫌は仕手株でよく見るような急下落。

 

ゴミ捨て管理をするようになって、わかったこと。

妻は毎回のゴミ捨てにおいてゴミを捨てていなかった。

燃えるゴミは都度たまるので捨てているようだけど、燃えないごみや資源ゴミのようなものは溜め込んでいたようだ。

 

これから毎回捨てよう。

 

自分の仕事が楽になるはずなのに、自分の領域と思っているのか、僕がゴミ捨てを管理することに複雑な気持ちがあることが見て取れる。

 

家事も子育ても大変だろうに、ゴミ管理を任せれば楽だろうに。

1人抱え込んでいる。

 

人のことは言えなくて、僕も仕事を抱え込むたちである。

 

人に相談したり、お願いしたりすれば、全く違うアプローチで解決してしまうこともあるし、ともすれば考え方次第でその仕事はやらなくてもいいことになったりする。

 

もちろん、社会人として自分の仕事をやり遂げることは大切だけど、1人にできることには限度がある。

 

自分の限界を超えて大変だと思うラインがあって、常にそのラインを超えてヒイヒイいって仕事をすることと、ライン以内で楽チンに仕事ををすることは本人にとっては雲泥の差があるけれど、客観的に見て見るとその差はたいした差ではないはず。

 

かと言って手を抜くと良くない結果が待っており、難しいところである。