他人は変えられない。
全ては自分の責任としてとらえる。
小さな頃からそういう教育をうけてきた。
考えられる限り、少しでも自分に非がある場合、自分がこうしていればと自分を責めてきた。
自分の考え方次第でどうにでもなると信じてきた。
その多くは今でも合っていると思う。
ただ、俺の場合は極端すぎた。
極端すぎて、臆病になりすぎることがあったし、他人に厳しくできなかった。
勝手に相手の要望を想像して、出来てないと卑下する。
マッチポンプ的パントマイム。
その反動か、不可抗力的な事案に関しては責められても何も感じないし、必要以上に感情をむき出しにしていた。
最近、周りに無責任なヤツが多すぎて、自分も擦れてきた。
極端すぎたのでちょうどいいだろう。
いろんなことが自分のせいではないと気がついた。この極端な考え方のせいで、悪く利用されることがあったし。
そう言えば、「水曜日のダウンタウン」でウド鈴木が1日に何回「すみません」を言うかカウントする企画があった。
あの、すみませんは極端すぎるが、似たものを感じた。
慇懃無礼という言葉もある。
奢りと卑下は実は同じであるという考え方もある。
あんまり、自分を追い詰めずに生きていこう。