かんたん雑記

普通のサラリーマンの普通の日常

野村監督の死に対する悲しみ方で人の死生観が伺える。

人が亡くなるのは悲しいことである。

しかし、人の生死観は人それぞれである。

 

満足して死ぬ人は、ごくわずかだろう。

多くの人はどんな歳だって、死にたくないと思う。

 

事故で死ぬ。

病気で死ぬ。

体の機能を使い果たして死ぬ。

 

日々満足に生きる。

日々何かを求めて生きる。

日々苦しんで生きる。

 

死ぬは一瞬の事象か、その後も続くのか。わからない。

でも、生きるのは事象ではあるけども続いている時間が長いので、自分の心待ちによるところも大きい。

 

死に対して、抱く印象も様々。

 

じゃあ死ねば?と言われる(誰に?)が怖くて、あまり、深く考えないようにしているけど、俺はすでに、満足行く人生を生き切ったと思っている(41歳)。死に未練はないようにも思える。

欲が少ないからかしら。

 

独身時代にできることはやり切ったと思って結婚した。

仕事にもついた。

 

子供も生まれて、息子は俺が育てられている記憶のある歳まで育った。記憶があるので、俺が親として、社会人として今後どうなっていくかは立場を入れ替えて両親を見ていればある程度想像がつく。

80歳の人はどう思っているのか聞いてみたい。

 

子供が独り立ちした後の、楽しみというのもあるのだろうけど、少し質が違った独身時代に戻るようなもんだと思っている。

 

野村監督。

84歳。なかなかの歳である。

大往生ではないだろうか。

 

息子は悲しいだろうけど。

教え子で大泣きしてる人を見て、考えてしまった。

 

彼は何に対して大泣きしているのか。

とても、お世話になったから悲しいのかな。

でも、それなりの年齢だし。

泣きじゃくるほど、悲しいっていうのはどうなんだろう。。

笑顔で送ってあげてもいいよな気がする。

 

古田みたいな対応が自然じゃないかなー。

 

当人でないとわからないこともあるし、深掘りしても、意味ないかな。

 

自分の両親はまだ健在だから、気持ちがわからないのかな。

 

サイコパスか俺は。