1日遅れたけど、3.11が9年目を迎えた。
当日、俺は、職場の建物の2階にいたが、ひどい揺れに驚いた。
すぐにテレビを見ると、速報が流れていて、津波の高さが10mとなっていたのを見て、俺はみんなに叫んだけど、大した反応がなかったことを覚えている。
叫んだ自分自身も叫びながら誤報ではないかと思っていたけど、すぐに誤報じゃないことがわかった。
職場からは早めに帰るよう指示が出たが、既に電車は止まっていて、徒歩で帰れる人は徒歩、帰れない人は職場に泊まることとされた。
俺の家は車で30分ほどの距離だったので、歩いて帰ることに。
妻にLINEしたけど、既読はつかなかった。
だらだら、歩いて、コンビニでビールを買いながら帰ったのを覚えている。
正味、4時間は歩いた。
家に着いたくらいにちょうど、妻の携帯に俺の送ったLINEが届いて、歩きよりも遅い、LINEの伝達に笑った。
通信障害だったわけだが。
その後、福島原発のことが報じられ、ビビった。
メルトダウンについて、調べまくってしまった。論文もチラ見。
家族で、西に引っ越そうか、すぐに家を出ようか、本気で悩んだことを覚えている。
今でも、復興は終わっていない。
ニュースでは復興オリンピックは政治家のアピールだけだとか、汚染水の処理が話題だ。
汚染水はフィルターの調子が悪かったせいで、基準値を超えるものと超えないものがあるという。
基準値を超えないものは海洋流出しようということだが、地元の漁協との折り合いがついてからだというし。
これらの対応にたずさわっている人には頭が下がる。
逃げ出したくもなるだろう。
想像しただけで、顔にシワが寄ってしまう。
目を背ければ何もない日常。
焦点を当てれば、目を覆いたくなる現実もある。
9年目の3.11はポカポカ陽気だった。