「竜馬がゆく」をチビチビ読んでいる。
3巻。
江戸末期。幕末。
当時は大きく分けて、新たに天皇を再び召し抱えようとする勤王派と、流れのままに幕府を支える佐幕派の二手に分かれていたわけだ。
鹿児島に位置する当時の薩摩藩内の騒動。
船宿である寺田屋にて、勤王派の面々が倒幕のための打ち合わせ?密会?
それを聞きつけた藩主の島津久光はもちろん佐幕派ゆえに勤王派の倒幕運動を思いとどまらせるために、寺田屋に使いを出す。
その使いというのが、寺田屋で密会をしている勤王派の人達の親友達。
親友ならそいつらも勤王派なのでは?と思うが、そう、勤王派の者もいたが、藩命は絶対。
藩主の命令どおり、密会というか、倒幕計画をやめさせるよう寺田屋に向かう。
大の勤王派嫌いの藩主の側近は藩主の島津久光にこう聞く。
「勤王派のやつらが、倒幕計画を思いとどまらなかったらどうします?」
島津久光「いかようにでも。」
つまり、言うことを聞かぬなら殺せと言うこと。
藩命を受けた親友達が寺田屋に駆けつける。
駆けつけた親友は命懸けで寺田屋にいる面々に倒幕の思いをとどまらせようとするが、勤王派の者達もその思想は変えられない。
当時の薩摩藩の面々からすれば、藩命は絶対。
一方、勤王派は勤王派で、勢いのなくなった江戸幕府ではなく、天皇を召し抱えることこそが世の中のためになるとの絶対の思想。いわば宗教。
かくして、寺田屋にて思想と藩命をかけた殺し合いが行われたのだ。
互いに親友同士。そこに憎しみなんかない。
憎しみのない、殺し合い。
すごい時代。
そんなことで死ぬの?
もっと、うまくやったら?
その場では意地を張らずに、従ったふりをして改めて、別の場所で倒幕作戦立てたら?
と思うけれども、その時代、その時代の何と言うんだろう、常識?空気がそうさせない。
勤王派のあるものは、藩命も大事、自分の思想も大事だと黙ってそのまま切られ、あるものは、切られながらも、藩からの使いの者にしがみつき、己もろとも串刺しにさせるなどなど。
今からでは考えられない行為。
今からでは考えられない行為?
それって、いつの時代でも言えることでは?
太平洋戦争。
今では考えられない特攻とか。
もう少し近くで言えばー、タバコは電車や飛行機や職場の執務室で平気で吸っていたとか。。
今の常識が未来の非常識。
未来を見る時、今の常識が本当に正常なのか考える必要がある。
100年後を見通すことはできなくても、ちょっと先ゆく考えができるのではないか。
小中高大学校に通うことが常識か?
いい大学、大きな企業に就職することがいいことか?
はたまた、起業することすら古い考えになるかも。
朝から晩まで働くことは異常では?
結婚制度はあたりまえ?
あまり突飛な考えもアレだけど、少し先ゆく考えってないものかしら。
そう言えば、別に時代ということでもなく、地域や、集団で常識がちがう事もあるしー。
前後左右上下、4次元?様々な点から常識を見直す必要があるけど、乖離しすぎも良くないし、やはり、ある程度の幅に収束してしまうのか。
乖離もしすぎず、最大限の幅の目線を持ちたいもんですなぁ。