12月から続けている、「玄関の靴を揃える」という習慣が崩壊した日については、先日、「窓割れ理論」ということで、妻一人が守らないことをきっかけとして、子供たちも守らなくなったということを書いた。
玄関の靴はその後、持ち直して、今なお、我が家の習慣として続いている。
1月から記録していた、連日のトレードの取引記録。
昨日、ついに面倒臭くなって、記録しなかった。
なんだか、記録する気力が失せた。
習慣が途切れる時、大抵の場合、いつの間にかやらなくなっていたなぁ、と振り返るものだが、俺はその日を昨日であると認識している。
まさに、1月28日に習慣が切れたことを認識したわけだ。
こういう時は、なぜこの習慣を始めたのか振り返るがいいさ。
なぜ、記録をつけ始めたのか。
それは、いまの方針が正解かどうかを統計にとるため。
そうすると、勝ったか負けたかだけの記録でいいのではないか。
見えた!
いらない情報が多すぎた。
記録する内容が多すぎたから面倒臭くなったのか。
なるほどーー。
インした価格、アウトした価格、銘柄、何日持っていたか、とか、そんな情報はどうでもよかった。
大事なのは、勝ったのか負けたのかだけ。
◯か×かだけ。
間違いか、正解かだなんてどうでも良くなかった🎵(間違いさがしby菅田将暉)
ということか。
なーる。