3つ離れた兄がいる。
北海道に両親を残し、息子達は二人とも関東にいるというやつ。
仲も悪くなく、俺から見ればよくできた兄である。
同じ沿線上に住んでいながらなかなか会う機会もないが、時々、LINEをする程度。
二人とも家族持ちだか、交流はほぼない。
家族同士の交流は重たいので、久々にマンツー飲み。
弟には見えない、景色。
それとなくは聞いていたけど、幼少期は教育ママの母親に相当詰められたとのこと。
馬鹿だアホだと罵られ、縁を切ろうと思ったことさえあると。
進学も制限され、複雑であったと。
確かに制限されてたなぁと可哀想に思う。
ちなみに俺は高校時代はすっからかんで、なんの悩みもなく、落ちるべくして受験に失敗した、当たり前のように浪人させてもらったのだった。。
兄は就職もなんだか大変そうで、一方俺はこれまたダラダラと就職のイメージなく進学し、これまたなんの意思もなく流されるまま就職したのだった。。
今から考えると就職氷河期という時代、よくも悩まず就職できたと何も考えないことの利点も実感する。
運だけである。
弟は兄の防波堤により、苦労もなく育ち、長男っていうのは大変だなぁとつくづく思う。
意図してるわけではないが、うちの家族も明らかに次男には甘い。
サンプル数は少ないが過干渉はろくなことがないと学んだ。
かと言って甘々教育のサンプルはないから(兄の防波堤に守られた俺だが、甘々に自由に育てられたというわけでもなし、ん?結構あまかったかしら)、今の俺の甘々な下の子への関わりが正しいのかもわからない。
そんなこんなでノスタルジーなひと時だったわけだが、それがなんだと考える必要もなく、ノスタルジーを味わえば良いだけのことなんだなぁ。