理不尽なエピソードの一つにスポーツクラブの件があります。
子供は全く望んでいませんでしたが、妻が子供をスポーツクラブに入れたいというのでした。
私は特にその意見に反対というわけではありませんでした。
希望通りに手続きをして、晴れて子供はスポーツクラブに通うことになったのです。
習い事にはつきものですが、やがて子供はスポーツクラブに通うことについて、嫌だと言うようになりました。
私としては、子供がやりたいと思ったことをさせるのがいいと言うのは第一にありますが
選択肢の一つとして、親が勧めて、習い事に通わせるという、今回のようなケースを否定するわけではありません。
私としても、何度か子供を説得して通わせていたわけです。
ただ、そこにある、思いというのは、なぜ、そんなにしてまで通わせるのか、という、動機であり、目的です。
頑なに通いたくないという子供に対して、どのような目的で通わせているているのか、振り返るのは当然のことです。
ところが、その発端である妻に聞いても、はっきりとした回答が得られないのです。
それでも、いろいろ聞き取って見ると、次のような理由ではないかと推測されました。
子供の将来のため。
これでは漠然としていますね。
スポーツができた方が、子供にとって幸せだと考えてるのかもしれません。
たしかに、小さい時の嫌な気持ちよりも、身につけた、運動能力の方が、得だというのもわかります。
ただ、スポーツクラブでやっている、跳び箱や鉄棒、マット運動なんかは、普段一緒に遊んでいると、スポーツクラブの今の階級より、ずっと上の階級のことができています。
習い事は子供の嫌さ加減と、将来の損得具合のバランスなのかもしれません。
これらのバランスの上に親の性格や教育方針が乗っかってくるのでしょう。
私個人としては、嫌ならやらなくていいのではないかという思いがあり、それと同時に子供の将来を思うほどの優しさはありません。
妻はその思いが強いのかもしれません。
ただ、妻の意見を最大限尊重しようという思いもあります。
人の行動を縛ることはできますが、人の心は縛れません。
前述の通り、私としても妻の意見を尊重し、子供のスポーツクラブへの送り迎えや、通いやすいような説得という形で行動してきました。
しかし、私の思いとして、この件について、妻と同じような子供の将来のためだとの強い思いを抱くことを強制されるようなことについては、不快に感じでしまうのです。
まさに、妻はこの同じ思いに立つということについて、私に対して不快感を抱き、それを表に出してくるわけです。
逆の立場で言えば、私に対して、不快な思いを抱くことは強制できないことです。
しかし、それを表に表すという行動の部分ではもう少し配慮していただくことはできないでしょうか。
ああ、なんかスッキリしたわ。。。